「団塊の世代」(7)
「還暦」の感慨
団塊の世代(正確にはプレ「団塊の世代」)の一員である私がこの5月で「還暦」を迎えた。
本番の祝いは子供たちが集まりやすい「盆休み前後」にする事にして、誕生日当日は夫婦二人きりではさびしいので、次女とその娘(孫)と三女でささやかな祝宴を近くの居酒屋で行った。
「還暦」と言われても本人は大した感慨は無い。定年退職と重なっていれば何らかの感慨もあるかも知れないが、54歳で早期退職した私にはそれもない。
昔のように「赤いチャンチャンコ」を着て祝う構図が理解しかねる。但し、体力的には確かに或る区切り・ハードルが在る事は実感する。
「ビートルズ」や「ローリングストーンズ」や「プレスリー」に親しんだ世代がここに「還暦」を迎える…という時代の変わり目である事は感じる。
「還暦」に際しての苦言をひとつ。
誕生月の3ヶ月くらい前に「年金老齢給付裁定請求書」が送られてきた。中身を読むと「誕生日の前日」以降に提出…と書かれており、そのままにしておいた。誕生日近くになると、もうそんな事は忘れ、思い出した時は書類をどこに仕舞い込んだかを探す有様。誕生日の1〜2週間前に手元に着くとか、早くから受け付けるとか考えてほしいものだ。
実際中味を読み、記入して行くとこれがとてつもなく難解である。記入例とか、記入方法が細かく書いてあるが非常にわかり辛い。仕事でいろんな書類・申請書類を見慣れている私でさえ、何度も読み直し記入していったつもりでも、記入ミス、記入漏れがある。大変な作業である。
また、振り込んでもらうのに何故金融機関の証明印までが必要なのか?
やっと書き終えて添付書類をチェックすると、更に頭が痛くなる。どれが必要で、どれが必要でないのか?チェックする度に添付書類が変わってくる。
やはり今話題の悪名高い「社会保険庁」の書類なのだ!「社保庁」に限らず、役人の思いつきで申請書をデザインし、記入する側の立場を無視したお役人天国の産物だ。
国の手続きにもかかわらず、場所や担当者が変わると添付書類まで変わるという手続きも多々あると言う。中央集権国家でありながら、実態は役人個人分権国家なのか?
「還暦」に際しての「意地悪ジイサン」はこれくらいにしておこう。
次は「古希」だそうだが、以前にも書いたように私は「人生時計」による24時・つまり72歳を最終目標としている。
「人生時計」では1時間が3年。現在60歳は「午後8時」。あと4時間・12年で眠りに就く…という人生設計である。
永過ぎもせず、短過ぎもせず…が目標である。